loader gif

“増幅文化はおしまいにしよう …”

増幅文化はおしまいにしよう

 ぼくの理想はとにかく住みやすい街なんだよ。だから東京はもうダメだと思ってる。東京は本当にとりとめがなくなっちゃってるよね。街を歩いていても楽しくない。やっぱり自分の街は歩きたいじゃない。そぞろ歩きしたいの。だけど、東京はどこもビルだらけでしょ。ビルの下は歩きたくないんだよ。ビルはぼくの憎悪の的だ。なんで東京にこれ以上ビルを建てるのかと思う。そういえば、神保町にも大きいビルが新しくできたよね。いつ計画したものかは知らないけど、そんなことはいま考えることじゃないよ。そういうビルを本気で建てようとしているオッサンたちがいる街がぼくは嫌いなの。
 ―そういうオッサンは、いっぱいいるじゃないですか。それこそ日本中に(笑)。
 いっぱいいる。それが本当にイヤなんだよ。このことはね、そもそもは、自分で三階建ての建物を建てたときに、これは重たいなって感じたことがきっかけなの。
 ―重たいというのは、細野さんの気持ちがですか?
 うん。それに物理的にも重いでしょ、ビルって。ずしんと地面に乗っかってるわけだ。その重さの分は、自分が責任を負わなきゃいけないと思ったら、気持ちも重くなった。だから、めったやたらと土地になにかを建てちゃいけないんだよ。三階建てくらいなら、なんとか自分でも責任を持てる。だけど、三十階建てのビルなんて、誰も責任は持てないよ。人間が責任を持てないものをどんどん建てちゃった果ての象徴が原発なんだよ。あんなものは誰も責任持てないでしょ。それが必要なくなったらいったいどうするのかと思うよ。もしもなにかがあったときに誰も責任を負えないものがこれからもどんどん増えていくってことなんだよ。
 ―ちょっと怖いですよね。
 阪神大震災のときに新聞社からコメントを求められたんだけど、そのときに「三匹の子豚」の教訓は間違いだって書いたの。一番頭のいい弟がレンガで家をつくったでしょ。あれが間違い。一番頭の悪い長男がつくったわらの家、実はあれがいいんだよ。わらの家なら誰だって責任が持てるでしょ。重厚な建物が一番安全であるという西洋的な教訓こそが災害を大きくするんだってことを書いたんだ。タイミングが悪かったのか、そのコメントについては読者からもなんの反応もなかったんだけど。
 ―建築学の先生で、今和次郎という人がいるじゃないですか。彼は、バラックって地震ですぐ壊れちゃうけど、すぐに建てられるんだって言っているんです。いまは建材が複雑化してるから、建て直すことはもちろん、捨てることすら大変ですよね。木とトタン屋根の家は壊れるけど、すぐに立て直せる。シンプルで、理想的な発想ですよね。
 うん。
 ―江戸時代の纏って、消火活動のときの景気づけに使うくらいのものかと思っていたんですけど、屋根の上で纏を振り回すのは実は、「この家を壊せ」という合図なんですよね。火事が起きたら周りの家を全部壊してしまうことで、延焼を防いでいた。
 うん。すごいよね。
 ―昔の日本人はそういう考え方をしていたんですよね。でも、その考え方ってある意味、現代にも継承されていて、たとえば、高層ビルなんかも同じ考えでつくっちゃってる気がするんですよ。スクラップ&ビルドというか、建て直せばいいじゃんという考え方を日本人は継承してきたわけですけど、じゃあビンテージなビルも壊してすべて建て直せばいいんだと言われると、それはそれで違うんじゃないかと思います。江戸時代のそれとは志が違う。だいぶ離れてしまった気がするんです。
 なんでもそうだね。日本人って、江戸の文化のまんま変なテクノロジーを持っちゃったから、考え方が歪んでるの。昔は、物売りの人の声がよかったの。よく通るいい声でね。だけどいまはアンプで増幅した声しか聞こえてこない。街中にアンプで増幅された物売りの声が氾濫してるわけだよ。すごく歪んでる。増幅文化はそろそろおしまいにしなくちゃいけない。増幅なんて最低限でいいの。ぼくはね、いつもバンドのメンバーに、お豆腐を手のひらに持って包丁で切るような演奏をしてくれって頼んでるんだ。
 ―いい表現ですねぇ(笑)。

細野晴臣・鈴木惣一朗『とまっていた時計がまたうごきはじめた』平凡社、2014年 (via shbttsy74)

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください