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“ついでに言うと,森鴎外は細菌説の主張を押し通すため,当時の医学界における人脈をフル動員して,高木兼寛軍医の意見を受け入れさせないように学界などで猛烈な反対論陣を張っています.
 その運動は,オリザニン発見後まで続いたほどです..
 人によっては,高木兼寛軍医を日本最初のリアル日本医学会の犠牲者とも言うほどです.
 海軍での採用も,明治天皇の助力がなければ,どうなっていたことやら・・・.  ただ,森鴎外の主張もわからなくもないです.当時の栄養素はたんぱく質と炭水化物,脂質,のバランスだけに集約され,1910年に鈴木梅太郎がオリザニンを発見するまで,それ以外の栄養価は存在しないと思われていた時代ですので.高木軍医の根拠であった体のバランスを重視する漢方医学は,独逸医学にどっぷり染まった森鴎外には受け入れられなかったんでしょうねぇ.
 まぁそれでも,日露戦争前の1897年にオランダのエイクマンが脚気を予防する未知の物質の存在を証明していたのですから,日露戦争まで脚気細菌起源説にこだわった森鴎外は老害といっても差し支えないでしょうね.  ただ,高木兼寛軍医は,後にその功績で森鴎外がなれなかった華族に任命されましたので,最後は報われたかもしれません.  ちなみにトリビアになりますが,麦飯やパンでほぼ発生が亡くなっていた脚気ではありますが,麦飯は消化吸収がとても悪く,一度発症したら直りにくい状況には変わらず患者は常に一定数いました.
 オリザニン抽出物も値段が高く,吸収しにくい弱点もあり,効果はあったものの根絶にはいたりませんでした.
 結局,脚気対策は玄米食ではなく,白米に押し麦を混ぜることで解決したそうです.
 玄米だと戦陣食として吸収が悪く,緊急時には白米だけにできる麦のほうが都合が良かったようです.
 この辺の詳細は,吉村昭『白い航跡』上・下(講談社文庫,1994年)が安くて詳しいかと.  日本で脚気が完全に根絶されたのは,なんと昭和29年です.
 戦前からビタミンB1の量産研究を続けていた武田薬品が,ビタミンB1を弱った胃腸でも吸収できる誘導体の形で,低価格で量産する技術を確立させたことを受けてアリナミンを販売,初めて脚気は根絶されました.
 ということは,警察予備隊が海洋船舶を持っていたら脚気の悪夢再びだった可能性も多少残っていたのかも.”

1895-1912, War History FAQ

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